いつか論

「いつか楽しい日がくるよ」

そう言って自殺を止めようとする。

いつかやってくる未来が、幸せが、明日かもしれない。明後日かもしれない。10年後かもしれない。

それを楽しみにしている自分もいた。たしかにいた。今はどうだろう。

いつかやってくるというその幸せに、僕は真に満足できるんだろうか。

明日って今さ!とポコは叫んだが、僕にそんな勇気はなかった。

 


「誰しもいつかは物になる」

そう言って自棄に陥いるものもいる。

いつかやってくる老いが、死が、明日か明後日か十年後かは判らない。

それに怯えている自分もいた。たしかにいた。今はどうだろう。

いつかやってくるというその死に、僕は真に満足できるんだろうか。

物になることは劣ることかい?停止したエンジンは泣いていたが、僕は止まることを知らなかった。

 


日々を取り巻く『いつか』に辟易してきたよ。今日がいい。今がいい。今すぐ前線で活躍したい。今すぐ弾丸に胸を貫かれたい。

数秒前がどうなんてあまり関係ない。稼ぎがあっても、家族があっても、それはトリヴィアルな問題で僕を縛ることはできない。

大企業で縁の下の力持ちなんて耐えられない。名前を売りたい。意味はなくとも、僕を世界に知らしめたい。

 


いつかやってくる幸せより、今すぐにでも実行できる死が、短絡的で甘美なのは事実。

誰かが自死を選ぶのはそれが理由なのかな、なんて思う。

日々を惰性という慣性に任せて愚図愚図生きるくらいなら、逆噴射で止まってしまおうよ。幸せはいつくるか判んないし、今すぐに飛び込める安息に身を堕とすのも悪くはないよね。

 


いつか傷も癒える。今ではないその瞬間に、希望を持つことしかできないことが絶望。

いつかこの弱い自分とも訣別できるのかな、なんて思う。

成功は次の成功へのプレッシャとなる。失敗は次の失敗を恐怖させる。何もしていなければ何も起こらないと思っていたが、それじゃ死んでいるも同然だし、長い目で見て失敗なんだよな。

 


惰性に暮らし、惰性に愛し、惰性に身を任せたままの生は、果たして生と呼べるんだろうか。

 


いつか生きたいね。